運を運んで来る意外な人

ビジネス開運系(なんて言葉があるのかどうか知りませんが)のネット記事を見ると、「あなたの年収は、あなたの周囲にいる5人の年収の平均」とか「経済力もビジネス力も自分より上の人と付き合え」といった記事が目立ちます。

確かにそうなのかもしれません。

しかし、金持ちだったり、良い人だったりというのは、永続的なものなのでしょうか。

以前、NHKプロフェッショナルでこんな経営者が特集されていました。

大手電機メーカーのエリート部長だったT氏は、志を分かち合える数人の有志と半導体ベンチャーを立ち上げます。

なんと言っても、全ての電化製品やコンピューターをつかさどる半導体を作るわけですから、ライバル企業は日本のみならず海外にもわんさかいます。

そしてある日、自社の技術を盗もうとした海外メーカーの担当者が訪れ、提携を申し入れます。

ふざけるなと怒り出す幹部たち。当然、T氏もこの海外のメーカーの担当者に対して、彼らが行ってきた悪事を並べ立てます。「こりゃ提携は無理だな」とあきらめ顔の海外メーカーの担当者。

ところが、T氏は提携について「交渉継続」という意思表示を示したのです。

T氏はこの判断を下した理由について、「めまぐるしく動くIT業界では、昨日の敵は今日の味方になることが往々にしてあります。なので、私はビジネスにおいては、相手を白か黒に決めるつけるのではなく、グレーにしておくこともあるのです」と説明していました。

このようなことは、普通の人の日常にも当てはめることができるのではないでしょうか。つまり、自分が良いと思った出来事も、悪い人だと思った人物も絶えず変化しています。ということは、自分が問題と思っていることもそうでなくなったり、自分が問題でないと思っていたこともそうでなくなったりするわけです。

そうであるなら、「こいつとは金輪際付き合わない」「この件には2度と関わらない」と思ったこと以外は「いったんグレーゾーン(経過観察)」にしておくのもありかもしれません。

なぜなら、チャンスは自分が好きな人間や好きな環境から常にもたらされるわけではないからです。

有名な文筆家でもある、あるお坊さんのエッセイにこんな話が載っていました。このお坊さんの知っている女性は、若い頃に両親が亡くなり、進学もままならず、工場で働くことになりました。ところが、工場で仕事熱心なある若い青年と付き合い結婚することになったのです。女性はこのお坊さんのところに婚約者の青年と訪れてこう語ったそうです。「若い頃は、両親を恨みました。でも今は、彼と出会うきっかけを作ったのは両親なんだと思っています」と。

話を少し戻しますが、対人関係において相手を常にシロかクロで判断しようとすると、そういうメンタリティにドライブがかかってきます。いつのまにか「周りにシロかクロかつける人さえおらず、ひとりぼっちになってしまった」という状態にならないよう、「判断を保留する心の間(ま)」のようなものを持ちたいものです。