大学生の頃、特に苦労したのは会計学という科目だったが教科書の表紙の絵の美しさと独創性に目を奪われ心を奪われた。
著者のはしがきでその絵の描き手の名前を知ったが、その名は長く自分の胸の奥の大切な場所にしまわれた。
大学を卒業した後は、サラリーマンになった。オーナー企業で恐ろしく薄給だったが会社の場所だけは都内の一等地で、昼休みになると会社の近くのおしゃれな書店や公園、ペルシャ絨毯屋さんなどをのぞいてまわった。
そんな中見つけたのがある画廊で、ピカソやウォーホルからディズニーまでいろんな絵が置いてあった。ただしほとんどがリトグラフだった。少し迷った後、中に入り学生時代に出会った画家の作品について尋ねてみた。手に入るだろうか?と。
店にいたのは小太りの中年の女性だった。その店のオーナーだという。
「わかりました。いくつか知り合いの画商をあたってみましょう」と彼女は言った。
それから何日か後に女性オーナーから自分の携帯に電話があった。
「3点ほどその方の作品を取り寄せることができたので見にきませんか」と。
さっそく会社の昼休みに見に行った。
3点ともあの画家に似たタッチだったが、教科書の表紙の絵にあったような作品としての切れ味と吸引力はなかった。
が、1点だけ買うことにした。数日経ってそれを女性オーナーに告げると彼女は「3点とも買ってくれると画家さんは思ったそうですよ」と言った。
ところが、いざ絵を買う段になってこんなことが起こった。
絵というのはその絵にあった額縁をつける額装という作業が必要なのだが、こちらの予算を確認することもなく女性オーナーは「こちらに任せてもらいます」の一点張り。安月給の自分にとっては「絵を買うということはこういうことなのか」と戸惑った。そして女性オーナーの傲慢さに面食らった。
数万円という絵の値段だったが、当時の自分にとっては大金だった。大金と引き換えに吸引力のやや欠ける作品と女性オーナーの傲慢さの甘受という行為が手に入る。
結局購入するのはやめることにした。
それから20年近くたち、会社員を辞めて自分の会社を起こすことになった。
経営は順調ではなかったが、自分の会社にサラリーマン時代に買えなかったあの絵を飾りたくなった。
インターネットで検索するとあの作家の個展を告知しているギャリーが都心の郊外にあった。
週末早速、電車を乗り継いで行ってみた。
個展会場に足を踏み入れてみると、さっそくあの作家が在廊していた。自分がずっと欲しかった作品の画家の方が。
言葉を交わし、自分が作品を手に入れようとした経緯を話すとK先生(と呼ぶことにする)は、「ああ、あの女性ね!」とすぐに反応した。
「あの女性のお店に私の作品を卸したことはないわよ。ただ、作品を見たいと連絡をもらって油絵を預けたことはあったわ。ただその絵は返ってこなかった。返してくれと連絡しても体調が悪くてうんぬんとかわされてしまって。怖くなって関わらないことにしたの」と。
もし自分があのときK先生の偽物の作品を購入していたらどうなっていたか。この画廊での先生との出会いはなかっただろう。
いろんなことがつながっている、人も出来事も。